そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

おすすめ記事で出てた話題を考える。パート1

タイトル通り。多分この形で記事にすんのめっちゃ楽そうだから続く気がするため見切り発車でシリーズ化。

 出た話題はベタに「貧困女子高生」と「4ヶ月で中退した若者のブログ」の二つ。

 最近、大学の準教授に言われたことがある。「最近の学生は何であんなに自己嫌悪してるの?」 確かに、僕の大学では実感としてある。それは学外の友達を見ても変わらない。「やりたいことがないからじゃないすかね。そしたら人は内省に向かうから自己嫌悪するしかなくなる」「つまり丁度いい暇つぶしってことだよね?」ざっくりいうとこんな感じの応酬になった。準教授も手痛いこと言うな……。

 いうまでもないが自己嫌悪は無意味である。そもそも自分は複雑すぎて捕らえようがないのだから。自己がいかに複雑であるか(評価不可能であるのか)は、単純な事実なのだがそうであるがゆえに気づきにくい。自分は自分で知りえない。自分への評価など、自分を一面的に捕らえた評価だ。つまり、一面的な時点で過小評価になっているため自己評価はそれ自体が過小評価になりがちだ(一方で自己性愛者がいる)。他方自己の複雑さを理解すると否定はしなくなる。「自分って一杯あるじゃん! 頭とか心臓とか!」てなるわけだ。

 貧困女子高生はあれだけ批判を喰らわせる輩がいるのは、やっぱり暇つぶしだと思う。インターネットは本当に丁度いい暇つぶしだ。何時間でもやれる(僕も自殺したいくらい時間を無駄にしてきたし、このブログも書く習慣を身に着ける以外には無駄だ)。生産的な活動を行う条件は面白いことに、自分の好きなことを見つけるのと同時に自分に興味を失くすことが条件なのだ。自分のことを考えても何もでない。自分で自分を延々と掘り起こしてもそこからは石ころ一つ出やしない。自分探しは何の意味をなさない作業である。何かをすることは、外部へのアクションと等しい。外部へ興味を持たない限りやりたいことなど見つからない。結局ネットにおける批判的な言説は「批判的言説を行うための批判的言説」であるため、別になんだっていい。第一、本当に批判したければもっと違う方法の方が確実に賢い。恒心教は集団心理と組み合わさったその極みの1つだろう。貧困女子高生とは単にそういうワードが批判層の目に留まっただけだ。もちろん「なぜ留まるか」という原因論は価値を持つが、バッシングという行為自体が欲望が見つからないゆえのはねっ返りに過ぎない。自己嫌悪が裏返って他人を叩いているわけだ。実際文句しか言わない奴って現実でもろくなもんじゃないしね。

 「4ヶ月で中退した若者のブログ」の方は…… これはいってしまえばただの馬鹿だよな。もちろん「なぜブログにいくのか?」の疑問はあれど、根本的には合理性の問題。合理的に考えればそうはならんだろ、というだけの話。ただ例外は彼のやりたいことが自分の使命だと思ってる場合。僕は根本的には合理性など無視して欲望に素直に生きるのが人間のいい生き方だと思っているので、「一生かけてやって後悔しなければ」いいと思う。出来るわきゃないかもしれないけど、未来は誰にも否定できないし、彼の心情も分からんのも確かではある。まあ、それでも馬鹿だとは思うよ。ただの洗脳商法だしねー。

 合理性というのはこの二つをまとめるワードになりえる。そもそも合理的な場合批判しないし、ブログで起業したりしない、当然。最近はこの合理性があるかどうかで一種の線引きがなされている節がある。ある奴は最低限の楽しさは確保されて、ない奴ははまりこむ。合理的ならば自己嫌悪は「得しないからやらない」で一蹴されてしまうし。勘だけど、この合理性はゆとり教育によって低下した気がする。個性を大事にする教育は立派っちゃ立派なのかもしれないが、個性=感受性みたいになっているのがやばい間違いなのだ。この感受性という奴に引っ張られて「本当の自分(笑)」みたいなもんに囚われているように見受けられる。個性というのは、本来外部への思索によって獲得される。「これはなんだろう?」という指示代名詞を使ったこの気持ちこそが興味を呼び起こす。「これ」をよく調査し、自分の糧とすることで個性的な思考を、本来の意味の感性を得ることが出来る。「自分ってなんだろう?」との問いは同語反復にしかならず、思春期の消化作用としては機能してもあまり意味のあるものではない。何について思考すべきか、なにが自分を突き動かすのか、僕たちは今一度考え直す必要があるように思う。

 

以上。ブログ最長になった。このシリーズ楽勝じゃん! パート1だけどな!

なんか毎回やりたいことやれ論になってる気がする…… でも、一番合理的な気もするんだよね。単に好きなことをやれれば、それがいいに決まってるさ! そのために僕はポテチとジュースの新商品を買うのだ。今日マイクポップコーンの高くて量少ない奴、オーソドックスなバターしょうゆがランクアップしたようなのを食べたが、印象は「20円のうまい棒みたいだな」だった。すっげえバター濃くてジャンクの領域に片足突っ込んでるからマニアは食っとけ!