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そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

オタサーの姫と恋ができるわけがない。シリーズを二巻までレビュー

ライトノベル レビュー

 君の名は。の感想を書くときは有名すぎるからそんなに力を入れて書かなかったが、今回の対象となるシリーズはそんな有名ではないから力をいれようと思う。一巻はそうでもなかったが、二巻は目を見張るものがあったのでレビューするに至った。

あらすじ。とりあえずアマゾンから一巻を引用。『神園心路は高校入学を機に“バカにされようともオタ充になる”という目標を掲げていた―「あのね、ヒメ、心路くんの彼女にしてほしいの」―って入学早々に告白イベント!?だが、相手は『オタサーの姫』として学内で有名な花咲百合姫で!?しかも彼女は“二次元以外ありえない”と昔フッてしまった幼なじみ!?そう百合姫は心路の理想のヒロインになるため、オタク修行して現役ラノベ作家にまで昇り詰めてしまったのだ。心路は彼女のお願いでニジケンの復興を手助けするのだが―「色々危険だから勧誘は女子限定な」「うみゅ、まさかハーレムを作る気なの!?」するとオタクな美少女が次々入部してきて!?』

これだけ読むと底が浅い作品のように思える人もいるだろう。が、オタ充(オタクでリア充)という言葉の意味合いが二巻で面白い成り行きを見せる。

 タイトルとあらすじから一見するとヒロインである花咲とハーレムでありつつも花咲が選択される、いわゆる正ヒロインとして選ばれる物語であるように見える。しかし、主人公の神園は花咲の「好きになってもらうためにオタサーの姫になった」ことに「それはどうなんだ?」と疑問を投げかける。もっと言うなら、そもそも異性として魅力をあまり感じていない。幼なじみという一点以外では全くヒロインとしての魅力を持っていないのだ。一方同じクラスでよく喋り、二巻以降は一緒に登下校することになる空野継未に神園は淡い恋心を抱く。しかし神園はもし隣の席にいたのが違う子だったらその子に対して同じように恋愛感情を抱いたろうと推測する。一方で神園は花咲に幼なじみであるがゆえの「唯一性」に惹かれる。幼なじみという事実自体の運命性に心奪われている。 

 そのため、神園は空野に「リア充的な」三次元としての恋愛対象として魅力を感じるが、「オタク的な」唯一性、運命的な要素に欠けるため彼女が充実した人格を持っていてもそれが代替可能なように思えてしまい決定的な恋愛感情に至らない。大して花咲は「オタク的な」要素は十全に備えていても「リア充的な」現実の人間としての魅力が乏しい故実際に付き合えるかと問われるとまた別の問題になってしまう。このことから分かる通り、オタクとリア充は神園の中でジレンマと化してしまい、共存不可能である。つまり「オタ充」という言葉は、そもそも二つの単語の合体すること自体の矛盾を字面で体現している、呪縛である。当然ながら、オタクでなければ空野が選ばれるだろう。ここで作者が(恐らく意図的ではないにせよ)徹底しているのは空野と神園にはっきり恋愛感情を抱かせるためのイベントを用意しなかったことである。恋愛を創作するとなるとどうしてもそういう「ときめくための」イベントは必要になりやすい。特にハーレムものでは主人公の魅力をエピソードに凝縮して手っ取り早く惚れさせる(ここで惚れるとめでたくチョロイン!)手段が用いられる。しかし空野と彼においては「よく喋っていた」という事実が全てである。だとしても、現実の恋愛も恋愛感情を抱く前から大抵良く喋っているものであり、そこから恋愛に発展するのは違和感のあるものでもない。花咲との恋愛を幼なじみという「形式」だけで描くのに対し、空野とは実際の会話の積み重ねによる「実質」こそが肝になる。この対比も正しく二次元と三次元を表現していて、きれいに構造化されている。

 花咲の好きになってもらうためにオタサーの姫になることはストーカーじみている。神園はそれを感づいてか花咲の求愛活動が「理想的な二次元」であることを認めつつも「それはどうだろう?」と疑問を呈す。花咲は神園の欲望に答えたに過ぎないが、かといって断る権利は当然ある。しかし、神園は振った罪悪感から微妙な位置に花咲を置く。このことを神園と花咲の所属するニジケンの部員でありハーレム要因の雪村からバカと形容される。このとき神園に「――自分が選択した行動の全てに罪悪感を覚える病気。――自分が影響している森羅万象に、重圧を感じる病理。――言ってしまえば、中途半端にリアルと関わってしまったオタク。あるいは中途半端に二次元に拘っているリア充」と言っているが、本質を一筆書きのように描いた発言である。神園は中途半端すぎるから呪縛にあう。空野は二兎を追うものは一兎も得ずと例える。神園はそれに対し両方無理ならそのときは諦めると答える。空野は神園に現実的な対応策、「自分が彼女になること」を考える。自分の欲望も叶えられるから、正しく現実的なのだ。

 神園のオタ充の呪縛が最大限に発揮されるたのが二巻ラストである。花咲は小学生、一巻出だし含め三回目の告白をするも、振られる。花咲は言う。「ヒメが心路くんの理想を完璧に、再現できていたら……継未ちゃんと、噂になる暇すら与えなかったのに…… でも、ヒメはまだ、心路くんの理想のヒロインになれていなかった……」彼女は病的に「形式」にこだわる。そうでなくては、二次元になれないからだ。花咲は文化祭までお試しに付き合うことを提案する。「アニメでいうところのとりあえず3話まで視聴」とまるで現実感のない例えを用いて。神園は承諾する。ここで二巻は終わる。

 

斉藤環はオタクは二次元と三次元を切り離すこと特徴としてあげていたが、このシリーズは「現実では見ないような二次元引きこもり型オタク」が実際の恋愛をすることの苦難が描かれる。実際主人公のジレンマは現実では滅多に見られたものではないだろう。いくらロマンチストなオタクでも、それなりな着地点に落ち着くものだ。二次元的なデフォルメをされたオタクが二次元と三次元の両立を図る、しかし作品自体は当然空想であること、その「現実(我々の世界)内に作られた空想(オタサーの姫という作品世界)の中のオタク(しかし現実のオタクとの対応関係がない架空のステレオタイプなアーキタイプ)がオタク(形式的なもの、象徴としての花咲)とリア充(実質的なもの、象徴としての空野)の両立の矛盾と戦う」奇妙に入り組んだこのシリーズがどこに行くのか、僕は非常に興味がある。みんなも読もう!