読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

ギャグのギャグ性ってなんだ!?

 最近はブログのレイアウトや文章構成も様式化してきたように思う。オモコロとかのwebメディアによくある、画像や吹き出しを利用して文章を漫画的に見せる作りは非常によく出来ている。笑いはセンスに依拠するところが大きすぎるから、出来のいい様式を作って記事の平均的なレベルを上げていくのは非常に合理的な考えだ。商業的にも大きな意義がある。が、一方で画一的過ぎて面白みが無い。平均的に高いクオリティを維持いたために、ギャグにおいて最も重要なイレギュラーさが失われてしまった。この辺はエンターテイメントでの共通の課題であろう。精巧であるがゆえに、無意識的な才気の発露が消失する。シュールレアリスムの正反対である(あれは気が狂ってるだけともいえるが)。僕が2010年代のアニメだと「ラブライブ!」が好きなのは何でもありすぎるところにあったりする。あれもあれで気が狂ってるだけともいえるが。形式と無意識的な爆発、そのバランスをどうやってとろうか?音楽ならエリックドルフィー、小説なら「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」あたりがジャンルの文法をそれなりに守りつつ鮮烈なものなのかな。

 笑いの話に戻るが、そもそも笑いって「笑わせる文脈で無いのに笑える」時が一番面白いのであって、オモコロやギャグ漫画はその意味では頂点には到達できない。だから、僕にとって一番面白いのは小説と学問書である。シェイクスピアは最高のギャグ作家だし、フロイトも素晴らしいギャグを放つ。結局、本人がギャグと意図していないのが一番面白いのだ。バクマン。で言及された「シリアスな笑い」はたしかに笑いの本質を突いている。テニスの王子様、ブリーチ、彼岸島、バキに勝てるギャグ漫画はないのだ(最近はギャグとして認知されすぎてなんともいえないが)。あと、「笑ってはいけない状況でのギャグ」も良い。街中や電車で変な人を見つけたとき、そうでもないのに死ぬほど面白く感じるのは、自分が笑いをこらえることが面白く、倒錯的にギャグ性を獲得するからだ。富野監督のアニメでも、殺し合いや死に際に笑えるシーンが来ると異様に笑いたくなってしまう。さすがは禿。僕も文章にギャグを混ぜるが、意図的なのでつまらないのだ。天才になりてえなあ。

 

終了。ほんと、人を笑わせるのに必要なのは才能だ。努力でなんとかできるものだろうか? あと、センスがある奴は他人の面白い話の引用も上手いから倍面白い気がする。ずるい……。