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そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

何をしようが、どう思おうが生きていくしかないわけだ

大学四年ですが、内定が決まった。
卒業も決まっているから、もうなにもしなくてもいいわけだ。
そして春になったら社会人になって、定年まで働くことになる。なんて言い方は意味がない。終身雇用なんて今では幻想だよ、なんてツッコミは置いておくとしても、こういう風に言う奴は「ジジイになるまで働きづめの人生さ」的なニュアンスで話すが、そうでもないだろう。本当に定年までずっと無感動に過ごす人がいるはずがない。もっと言語化できない内容があるのだ。
人生は長い。辛い。眠い(?)「クロスボーンガンダム鋼鉄の7人」において、「なぜ俺が生き残った」と悔やむ人物にたいしあるキャラはこう返す。「・・・・・・人間生きたいだけ生きられる奴も死にたいときに死ねる奴も滅多にいやしないんだよ!生きていこうぜ 今までもそうしてきたように どうせそれしかないんだ」
最近読み返したら、この台詞で泣いてしまった(俺は大丈夫だろうか)。そうなのだ。なにをしようが、どんなことが起きようが人生は続いて「しまう」。人生最大の歓びを手にしても、何事もなかったかのように人生は続く。不慮の事故や自殺でもない限り、人生は延々とひた走る。人生の辛さは、つまるところこのことに集約されるのだと僕は思う。なぜ続いてしまうのか。体は衰え、頭の冴えは鈍り、容姿が醜くなっていっても、終わらせてくれない。意志はそこではなんの意味もなさない。行動も、自らを死に至らしめるものでなければ全く効果がない。どう思っていても人生が続き続ける。そこでは惰性で生きるとか、真摯に生きるとかを考えても無駄だ。どうせ続くのだから。功利主義者なら、続くんだったら幸せに生きようと言うだろう。宗教家は神のために一生を使うだろう。合理主義者は生き方を効率化させて、不自由をなくすだろう。
この人生が「続く」中、我々は価値を、くだけて言うなら「楽しいこと」を見つけなければならない。だが、楽しいことをしても「続く。」その先があって、またその先…… だったらなにか意味を見つければいいのか? 僕からすると、それが一番つまらない。意味のある人生は、日々を解釈化する。「続く」意味を見出だしたら、何が面白いのだろう。なんのために生き続けているかわかったら、あとの人生は無価値だ。なぜなら、意味があったらもう自分で価値を考える必要はないのだから。だから、続くことだけを思う。それから、ずっと死ぬまで悩んでいいのだ。だって、この世も人生も興味深く、かつ巨大なのだから。世界への興味は、人生が無意味なところから出発する。無意味をどうしよう。それを解決するために自分以外へとアクセスして、「なんとかする」こと。矛盾やジレンマを内包するから、生きることは面白く意義深い。

終わったぞ! さて、僕は定年まで働けるでしょうか!?