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そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

閃き力、とかいうと自己啓発本っぽいワードに見える

このブログの記事を書くとき、なにも考えていないことが多い。書き出して、その後は前の文章に繋がるトピックを思い付いて書くことの繰り返しだ。今回も書き出ししか考えていない。不思議なのは、最終的に自分の思想へと至ってしまうことだ。手癖と言うべきなのか、最後は普段考えていることに行き着く。僕がやっていることは会話に近くて、出発点とは全く違う話題になっていることも多い。自分の書いた文章に「返答」しているわけ。この作業は自分の思考が思わぬところで結びついていることを発見できるのが面白い。昨日の記事は顕著な例である。
しかし、人間の思考は非常に不可解だ。神経同士の莫大な繋がりにおいて、普段使われない連携がなされるとき「閃く」のだろうか。アイデアを出せる能力と知能は正比例しない。脳のどこどこの領域が発達していると優れた発想を出せる訳ではないようだ。では発想力のある人は他の人とどう違うのか? たまたま電気的な閃きが走っただけなのか? 誰もが論理的には手塚治虫カフカになれたのか。逆に言えば、才能が無いのに悩むのは発想力があるのかないのか分からないからだとも言える。頭のいい悪いはなんとなく感じることが出来るが、天才的なアイデアは賢さと絶対的にはむすびつかない。才能があるかどうかは死ぬまで分からない。いや、カフカや賢治を見るなら死んでからもわからないと言うべきだろう。分からないがゆえに怯え、一方でもしかしたらと希望を抱く。いつか閃けと念じ、努力する。なんともまあ、虚しい行為である。でも、だからこそひたむきな奴は魅力的で、実際に現実を切り開きうるのだろう。

終り。山形は吹雪ですが、チャリで頑張って帰りました。雪国ではない人にトリビアです。吹雪にチャリで走ると眼鏡が目隠しになります。