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そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

表現は思想や精神のためだけにあるんじゃないんじゃない?

最近モンハンをしている。ダブルクロスに備えなきゃね。
なんか馬鹿にされるが、モンスターハンターはいいゲームだと思う。精緻に世界観を描き、モンスターのデザインと設定はうまく絡めている。アクションも戦略的な要素とアクションとしての瞬間的な判断がうまく調和している。アクションゲームとかアクション映画は思想性がないためとかく馬鹿にされがちな気がするが、それは側面的な捉え方だ。表現を「深み」でしか捉えられない人の発想なのである。別に、ただ爽快でもいいじゃないか。計算され尽くしたアクション、精密に構築されたビート、リズムパターンの快楽は、「いいもの」じゃないのか。むしろ、アクション映画や電子音楽こそストイックなのだ。思想性が抜かれる代わり、極限まで「気持ちよく」なければならない。そうするために電子音楽はパターンを膨大に用意し任意に組み合わせ、最も美しい隙間と間隔と恍惚の音楽表現となる。
表現は思想表現でも、精神の発露でもない。それらは一側面としてのものであり、快楽性も間違いなく重要な要素なのだ。表現を思考するときは常に全方位を考えねばならない。どんな形態、どんな未知のものであろうが「なんか面白ければ」全く問題ない。だからその「なんか」を見落とさないために受ける情動と作品をあらゆる方法で結びつける必要がある。なぜならば、表現の可能性は常に思わぬところに秘められているがゆえだ。

終わった。もっと適当にいきれば思想なんてどうでもよくなるよ!