そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

「今が最高」だよね!?

 前に書いたが、人生はなにをしても続く。偉業を成し遂げても、「偉業のその後」がある。「伝説のその後」がある。

 この事実にひたむきに向き合ったのが劇場版ラブライブ!じゃないかと思った。スクールアイドルという輝かしい時代が終わる。でも人生は続いていくのだ。そのことに言い知れぬ不安を覚えるμ's。しかし、結論として彼女たちはプロのアイドルになることもせず、すっぱりと辞める。なぜなら、彼女たちは「飛べる」からだ。スクールアイドルという地盤がなくなったら、また違うところへ行こう。その精神を彼女たちは持っているから。劇場版の凄いところは、謎の女シンガーを登場させたことだ。穂乃果と似たような過去を持ち、今はメンバーと離れ離れになった上でも楽しく生きる彼女。穂乃果はそんな彼女にどうすればいいのか問う。彼女は「飛べるよ」と返す。そう、スクールアイドルは今の穂乃果にとって全てだが、期限切れはやってくる。ゆえに、今の全てでも人生の全てではなありえないのだ。だから穂乃果、ひいてはμ'sは飛ばなければならない。スクールアイドルは終わっても人生は終わらないから、果てなき人生を進み続けるしかない。直にまた期限切れになるかもしれない。それでも飛ぶのだ。プロのアイドルを拒絶するのは、スクールアイドルの残りかすを追うのは「飛んでは」いないからだ。本当にスクールアイドルが好きだから、「今が最高」だからこそ、「その下」に行ってはいけない。スクールアイドルが終わろうが、メンバーと関わりがなくなろうが「今を最高」にさせ続けることが「飛ぶ」ということなのだから。

 スクールアイドルである「今が最高」なのは間違いない。そういう意味では、瞬間を賛美するアニメでもある。だが、スクールアイドルに期限切れはあっても、人生に期限切れなどないのだ。死んだ瞬間だけが「期限切れ」なのだから。人生の終わり際まで「今を最高」にしていけるから、スクールアイドルをやめられる。劇場版ラブライブは、今と今後全てを肯定する、非常に包容力の強いアニメである。だから素晴らしい。アイドルという有限な存在に対して、完璧な答えを出している。ラストの台詞(というか歌詞)は「今が最高」である。この台詞が単に今だけを賛美しているわけではないのは説明した通りだ。だからその後を描く必要などないし、やはりライブシーンで終わるのがベストなのだ。「今はスクールアイドル」である以上は。そして、彼女らはスクールアイドルでなくてもスクールアイドルのような輝きを保ち続けるのだから。

僕たちの人生にも期限はある。例えば学生。いつかは終わるものだ。所属や肩書きでなくとも、肉体は衰え、脳は劣化し、容姿は老化の一途を辿る。期限が迫るにつれて色々ダメにはなる。それでも人生は続く。だから飛ばないといけない。何が終わろうが、衰えようが「今を最高」にすることはできるのだ。過去を羨むときとは、昔が良かったのではなく今が駄目なだけだ。人生は常に肯定され続ける。素晴らしい今も今後も、「可能」なのだと人生は肯定する。だから責任逃れはできない。肯定されている以上、駄目であるなら自分自身にしか原因はない。懸命に生き続けること。現状と向かい合うこと。正しさを判別すること。「ライブ」とは、常にそのような意味を持ち続けるのだ。

 

終わり! 矢沢にことなんだかんだ穂乃果が俺は好きかな……