そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

金なんてどうでもいいというバンドマンは、金のためにコンビニでバイトをしていた


今回は珍しくそこまで間をおかずに書くぞ。

僕の周りには金に困っている奴が多い。コロナだから、という訳でもなく働いてなかったりフリーターだったり、という感じだ。自分も自分で安月給かつ散財癖があるので貯金はしばしば深淵を覗いてしまっているが(つまり、深淵も貯金を覗いている)、まあ他の奴よりかはマシだ。底辺争いということである。金の話は難しい。「金は大事か?」って問いはめんどくさい思想がつきまといがちで、論争の的になる。こういう質問は大体「金で人は幸せになれるのか否か」みたいな感じになりがちだが、これについては語る気はない。そんなのは人によるとしか言いようがなく、一般化して話す意味を見出せないからだ。
 ということでしょうもない質問は終わりにして、違うことを考えよう。金が幸せにできるとは限らない。が、「金は力である」のは間違いないだろう。「時は金なり」は真だが、「金は時であり力である」のも確かだ。家政婦を雇って家事をしてもらえば、それは金を使って無駄な時間を減らしたのと変わらない。ホームメイドが可愛くて献身的で眼鏡であれば格安もいいところだ。そして金は他人をねじ伏せられる。友達に親の金で独り暮らししながら就活しているが、こいつは親から死ぬほ文句とか注文を喰らっている。客観的に言えばどう見ても親が悪いのだが、金を背景にしているので力関係としては圧倒的に親優位になる(親の金で暮らしてるならそいつも悪いと思うかもしれないが僕は違うと断ずる。子供の許可を得ないで子供を産んだ以上、親が子供を養うのは当たり前だからだ。この辺は話し始めると長いのでまた後日)。金を持ってる側は駆け引きにおいて絶対的な力がある。正真正銘の「パワーゲーム」だ。
ここまで当たり前のことを話した。色々話してみたものの、絶対的な事実は一つだ。「なんだかんだ金はいる」のだ。幸せだとか力だとかそれ以前に、生活するだけのお金は必要だ。もっと当たり前のことを言ってるように見えるが、金ってのはそれに尽きると思う。金についての思想なんてどうでもいい。だって、それは「生活できるだけの金がある」のを前提としているから。人生において金とは何か。「生活に必要なもの」だ。これ以上何も語る気はない。そして、だからこそ金はめんどくさい。バイトで食い繫ぎながら暮らす売れないバンドマンがいるとしよう。いつかロックスターになることを目指しているものの、今は「ぎりぎり生きられる」だけの金しかもっていない。ロックスターになるには、バンド活動を頑張らないといけないのであり、ファミマでレジ打ちしても意味がない。じゃあなぜレジ打ちするのかというと、「生活するには金がいる」からだ。となると、バイトはやめて親の金で生活した方がロックスターにはなれる確率が高そうだ。ただ、親が死んだら悲惨なことになるのは間違いない。なので何か他の手を打つか、親が死ぬまでなんとしてもバンド活動で金を得られるようにしなければ。
 こいつの生き方を検討してみたが、なんでこんなどうでもいいことをしているんだろうか? バイトしなきゃとか、親が死ぬまでどうしようかとか、バイトすると時間が無くなるとか、親が死んだらどうやって暮らそうとか、あまりにもしょぼい悩みだ。なぜしょぼい? 簡単だ、彼は「バンドマン」だからだ。バンドマンはバンドをして観客を楽しませるために生きているのであり、品出しや発注をする使命はないし親の小言を聞いている場合でもない。でもやらないといけないのだ。「金がない」から。そうしないと生きていけないから。だからしょうがない。こうするしか、他に方法がない。僕だって納得いかんし、このよくわからんバンドマンも不満があるだろう。なぜ生活しないといけない? 自分はバンドをやりたくて生きているのに。なぜ、400円のシけた弁当のために、コンビニであくせく働かないといけない? なんで、金がないと生きられなくて、生活が出来ないんだ?
 このバンドマンの世界への疑問は筋が通っている。論理的に見れば十分に正しい。ただ悲しいことに我々は現実世界を生きている。「芸術家とは人間である以前に芸術家であらねばならない」というが、それでも彼は人間なのだ。お腹がすいて眠くなり、放っておくと栄養失調になって過労でぶっ倒れる、肉体を持った凡庸な存在だ。つくづく思う、我々はなんて平凡なんだろうと。こんなにも高尚で気高い志を持っているのに、なんで金がないと生きられないんだ? なんで、食べ物を食べないと死んじゃうんだ? 肉体とは目に余るほど鬱陶しい魂の入れ物だ。こんなものに、人生を制限される余裕はないのに! 
 こんな風に考えている内に、体は朽ち、思考は硬直し、自らの悲惨さに嘆息して死ぬしかないんだろう。それもしょうがない。逃れられることの出来ない、予め決められたつまらない終幕だ。世界の果てで、老いさばらえた自分は疲労のつまったため息を吐く。後は扉が開くのを待つばかりで、感慨にふける元気もない。それもしょうがない。だってそれ以外にやりようがないんだろう? 悲しみを覆い隠して進むしか歩くことが出来なかったんだろう? 元から選ぶことは出来なかったのだ。だからしょうがない。枯れた肌を震わせ、曲がった背中の痛みを誤魔化し、ぼんやりとした眠気を抑えながら、「どうしようもなかった」と呟いて、無垢な天使の歓待を待つしかない。いつか来るであろう天使に、心躍らせることで途方もない未来を耐えるしかない。それだけが、今生における唯一の救いだ。ギターを捨て、なけなしの金と使い物にならない心と体しか持っていない彼への、一番の手向けだ。とはいえ、目の前にいる天使こそ自分がいつかなりたかった理想であることを、否定することはやはりできなかった。

 

 

 

 

 

終ーわり。金について僕も色々考えたけど、個人的な結論は「やっぱりめちゃくちゃ大事」だったね! 結構納得できる答えである。