そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

なぜこの作品は、大冒険が始まる前に必ず夏休みになるのでしょうか?


 今日から夏休みだ! とはいえ4連休なので休暇という感じはない。この程度ではバケーション気分を味わうには足りぬのだ。今日から夏休みというとメダロットを僕は思い出すのだが(主人公ヒカルの冒険は夏休みの幕開けと共に始まる)、授業を受けていることにすると行動が制限されるからそういう出だしにしているのは分かるにせよ、だとするとポケモンの「母さん俺は旅に出るぜ!」と言って小学生くらいの子供が旅に出るのはかっとびすぎと言わざるを得ない。こんなん許されていいのか? 
 登場人物を学生にしたり、学校生活を舞台にする場合夏休みは何かと都合がいい。メダロットみたいに「学生だけど学校生活を描きたくない」時の回避策に使えるし、普段は3連休程度が限度だから大冒険に行く余裕もないが、夏休みを使えば一か月は余裕ができる(こう言うと年齢一桁から平日は毎日同じ場所に通うって過酷だな。自分も当たり前にやっていたけど凄いことである)。作劇上のテクニックは考えると中々面白い。ラブコメでは海と林間学校とクリスマスを順番に回していくのだ。バトルものでは戦闘→挫折→練習と対策→勝利を繰り返すのがテンプレの一つでもあるし、こういう「うまいこと反復させる」ための方策は結構大事だ。そして、「クリスマスにヒロインと二人で過ごさせよう!」となったら両親を旅行に行かせたりして排除する作戦をとる。言ってしまえばご都合主義的な即興の話づくりなのだが、書き手の都合を気づかせないのも書き手側の腕の見せどころである。結局のところ物語なんて一から十まで作者の都合で作られているので、読者からご都合主義だと思われるかは単純に手腕の問題である。
 難しいのは、「簡単に言い訳できる場合と工夫が必要な場合」の二通りに分かれるところだ。さっき言った「クリスマスにヒロインと二人で過ごさせる」とかは読者側もそうなるのが当然と思っているしラブコメのテンプレとして頭に入っているので脳死で両親を旅行させてもそれなりに許容されるだろう。ただ、「主人公がヒロインを好きになる理由、もしくはその逆にヒロイン→主人公」ともなると創意工夫を凝らす必要がある(月がきれいでも目の前の女を好きになったりはしないのだ)。ただ、結局はそこも「周囲の状況に合わせて都合よく作られるもの」ではある。好きになる理由なんかはどこまでいってもこじつけになるから特にその傾向が強い。さっき言った通り自分の都合を都合よく隠すしかないということだ。ストーリーのためにキャラが存在してはいけないし、キャラクターを活躍させるためにストーリーを合わせてはいけない。っていうのは建前といえば建前で、別にしてもいいしその上で高い評価を得ている作品は一杯あるだろう。なぜ面白いのかというと「読者にそう感じさせないようにしている」からだ。読んでいる奴が気付かなければ、作者がそう考えていないのと同じことになる。
 大体こんなもんだろうか。なんとなく書いてたらストーリーテリングの理論になってしまったが、これはこれで書いてて楽しかった。またブログを書くときはやってみたいが、僕は思い付きでしかブログをやらないからどうなるかはわからん(今回も「今日から夏休みだ!」を出だしに思いついてそっから適当に進めてるだけだし)。「思いつきで書き進める」ということから閃いたが、後付けも文章制作の面白いことである。次はそのことを書いてみよう、その時思いついたらな!

終了。ブログ更新の、新たな手法が幕を開ける!