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そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

やっぱりドラムはすげえや

 仙台ジャズフェスティバルに行ってきた。結局それほど聴かずに友達と精神病についてだべっていたのだが、まあいいとしよう。とりあえず思ったことを書く。

 まず色んなジャンルのバンドが出ているのだからジャズフェスの名をやめたらどうだろうか。これは「ジャズ以外やってる癖に良く名乗れたものだな!」みたいな感じのジャズオタのヒステリーとしての意味ではない(てかジャズあんま聞かないし)。ポップスやソウル、ゴスペルなど幅広くやってるのだからそちらもやっていることをアピールした方が興味を引きやすいから、というプラスの意味での提案である。そもそもジャズだから来る人は何人いるのか。20代以下でジャズを熱心に聴く奴はどれほどいるのか。いたとしたら碌な大人にはならないだろうが。それはともかく、いい意味でジャズの看板は取っ払ったほうがいいと判断した次第である。

 

 仙台駅に着いたときに、駅中でもライブをやっていた。ドラムレス編成で確かベース、トランペット、ギター、アルト?サックスだったはずだ。多分下手ではないがあんま良くないと思ったのは確かで、その原因はドラムレスなことにあるんじゃないかと思う。やっぱドラムなしでやるのはむずいのだと分からされた感がある。やってる側の苦労はプレイヤーじゃないから知らないが、単純に打音の快楽って凄かったんだなあ……としみじみしてしまった。太鼓を叩いて出る音の強さが演奏というものの純粋な迫力の要因になっていることに気づかされた。プリミティブゆえのディープさ(バキの板垣恵介が書いた餓狼伝に「シンプルにしてディープッッ ディープゆえにリアルッ リアルゆえにッファンタスティックな決着でしたッッ!」 っていう台詞があるが、感覚的にはそんな感じである。たぶん)がドラムの本質なのだ。ドラムレスはどうしてもメロディ楽器がぶん回さないと(ベースも超重要なのはいうまでもないが、ベース単体でどうこうできるもんでもないので)迫力がなくなるわけだが、駅中で聴いたときに物足りなく感じたのはそこが原因だろう。

 

ちなみに僕はジャズで一番好きなのはドラムです。あのはしゃいでるのにタイトなのが良くないっすか?