そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

真実はいつも複数ある!

 作品の方が進まないのでブログに逃げるでござる。このペースでの投稿など三年以上ぶりくらいじゃないかと思うが、良いか悪いかは微妙だ。まあこんな時もある。と、出だしは切り出したものの、話すことのストックはあまりない。

そう考えると昔の自分はどうやってあんなペースで書いていたか謎である。あの頃は作品を書いていないので書く量は今と昔でそんなに差はないんだが、今だとあんなにポンポン思想的な発想が出てこない。かつてと比較すると思想ってよりかは実作に興味があるので、当たり前っちゃ当たり前なのだが。
 作品が進まないと書いたが、どうやって進めればいいか。と、書いたところで作品に足が生えて完成に向けて歩き出したりはしない。「作品が進まないときの進め方」というハウツー本があれば、アーティストの間で大ベストセラーになるだろう(じゃあいっちょ書くか!)。この大ベストセラーに書いてあることはシンプルだ。「作品が進まないとき」の「答え」が書いてある。エクセレント! ……が、本当か? 本当に「答え」が掲載されているのか? 誰もを一発解決に導く、パーフェクトワールドが広がっているのか? そんなことはない、大体は失敗に終わる。そして、また違う「回答集」を探しに行く。度々思うことだが、学校のテストみたいな「正解」は実生活の上であまりないな、という気がする。正しさってのは難しくて、同じような状況でも正しいことが全然違ったりするし、そもそも一つの状況だけで正しさを評価していいのか悪いのか、みたいに考えていくと考慮すべき可能性は無限に増えていく。とある20代男性が「結婚した方がいいのかな」と思っていたとしよう(断じて僕じゃないぞ)。こういう疑問を抱いている人は割といるだろうが、こんなん考えようがなくないか? 結婚していいことは色々あるだろうし、悪いことも色々ある。結婚しなかった場合もまた同じ。一応、データだけで見ると30,40代の男性は独身より妻帯者の方が生活満足度が高い。そういう意味では結婚するメリットが大きそう、という考えはそこそこ妥当性があるように見える。
 だが、これは所詮「期待値」だ。データである以上一般論なのであり、独身男性Aがここに当てはまるかは分からない(これも僕じゃないぞ)。適性ってのは何でもある。他人と関わることが根本的に苦痛であるならば結婚しても無間地獄を見て終わりだ。で、一番問題なのが、既婚男性が独身男性よりも幸せってデータを生きる上での「正解」だと思い込み、その価値観に憑りつかれてしまうことだ。そうなると「独身=不幸」になるし、そもそも実際に結婚しても幸せになれるとは限らないので、結婚した方が幸せになれる確率が高いという「期待値」を求めに行ったのに結果的には独身で幸せになれる可能性を潰してしまっているので、皮肉なことに期待値はだだ下がりだ。ていうか、お前は今独身なんだから自分自身を地獄に落としてるだけじゃねえか。セルフデストラクトが極まっている。この辺は不幸に陥りがちな思考パターンでもトップクラスに入るんじゃなかろうか。「今ではない状態」に移行すると良くなると信じ込んでしまっているのだ。「隣の芝生は青く見える」とは悪いところが見えていないだけなのはよく言われるが、どちらかというと「変化=上昇」みたいな価値観に基づいているように感じる。現代は変化のスピードが早いせいで変わらないことが悪になりがちだが、それについては議論の余地がある。「独身のままで幸せになれる方法」なんていくらでもある。言ってしまえば、独身であることが「絶対的な不正解」であると思い込むからそうなっているのだ。そう、逆もまた真であり不正解を盲信するのも良くない。独身であることは変わらなくても、他を変えれば解決する可能性は大いにある。変えられるのが簡単なことと難しいことを判別し、変えたことで良くなることと悪くなることをジャッジして実行コストとリスクとリターンをひたすら管理し続けるしかない。めんどくさい? その通り。僕が好んで使う言い回しで表すと、良くなるっていうことは時間がかかって地道で退屈なのだ。嫌気がするような作業を積み重ね、刹那的な快楽を我慢して、忍耐強く取り組んだ先に待っているのは、別に凄く楽しいってわけでもない、苦痛が少ないだけの淡白な日常だ。そうした生活の良し悪しを判断するのは、各々に任せよう。
 図らずも幸せについて語っちゃったが、こうしてみると「幸せについて考えてしまう人は幸せになれない」ってのは真だなとしみじみ感じる。多分、幸せの最短ルートを求めるから結局幸せになれないのだ。最適解っていうのは落とし穴になりがちで、最適であることを至上とするから複数のプランを持てない。結果ってのはあくまで最終地点であって、到達できる手段は一杯あるしなんだっていいはずだ。百の計画を練っても、そのどれもが最適ではない。なら一番いいことはなんなんだって言うと、結局は迷うしかない。分かんないときは悩んで迷って考える以外の手段はない。そして、何年続けても答えは出ない。びっくりするくらい、何も分かっていかない。少なくとも僕はそうだ(単にアホだっただけかもしれんが)。でも、考えないよりずっといいとは確信している。じゃないとこうやって文章を書くこともしなかっただろうし、単純に生きるのが苦しかっただろう。だから、死ぬまで迷うのだ。永遠の迷宮を、入口も出口も分からず歩き続けることが人の生だ。だとしても、立ち止まったりありもしない正解を妄信するよりかは進んでいる方が気は楽だろう。そもそも苦痛が取り除かれた多幸感に満ちた人生なんて一生続けるのは不可能に決まってる。大前提として生きるのは苦しいのだから。だから僕はずっと悩んでいる。こういう意味不明な人間の心理構造を哲学的に思索している。こんなことをしても何の意味もないし、解決にもならないので、自分自身の苦悩ややるせなさと生涯付き合っていくことになる。ただ、僕はそうなることを知っている。今の退屈が久遠まで続いていくことを心の底から自覚している。だからずっと考えるのだ。誰にも理解されない「暇つぶし」を、一人で延々と。そうすることで、僕は人生を通した苦痛を信頼できるようになる。この痛みがあるから戦うことが出来る。叫びながらも、悪くはないと実感できる。自分がこの世界に立つ資格があると、僕は誰よりも理解している。

 

 

終章! 閉幕! 今日は気分がいいのでテンション高めで終わるとしよう。