そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

xtcのnonsuchとapple venusを聴いて

 最近xtcbeckばかり聴いている。なので、xtc評だ!

 xtcの遍歴はwikiってもらうとして、僕が語りたいのは後期だ。

 後期xtcは明らかに内向的になった。なぜ内向的になったといえるか? 難しい問題である。音楽において内向的、内省的といった言い回しは度々見られるがこのことを理論的に捕らえるのは非常に難しい。極端にいえば暗い曲調とかノリがいいとかも厳密には語りがたい。楽曲の雰囲気とはマイナーコードを使ってるから、とかノイジーで低音だからこれこれで~、と語っても側面的なだけだ。この問題は僕の中で片がついていない。ので今は「フィーリング的に後期xtcは内向的だと判断したんだけど、君もそう思っているよね?」ぐらいの感じで行こうと思う(いいのか?)。

 内向的な音楽というと何を思い浮かべるだろうか。ロックだとわかりやすいところではニルヴァーナとか、レディへとか? まあなんでもいい。この二つのバンドに象徴的だが内向的であることはしばしば精神的な部分へと結びつく。カートコバーンの苦悩が、だったりトムヨークの世界に鳴らす警鐘とは、だったり言いたがるキッズは多いものだ(昔は僕もそうだった。エヴァンゲリオン人間失格とイン ユーテロを同時に愛している輝かしい栄光の一時があったよ!)。勝手な妄想ともアーティスト側の仕掛けともどちらとも言えない状況でファンは共感していくのだ。

 後期xtcの特異性は、内向的でありながら精神性が全く感じられないところに尽きる。この論での精神性とは「作品が深刻な思考を作者が持っているように考えることを誘発させてくる性質のこと」を指す。この言い方ならわかりやすいだろう。

 この精神性をxtcは一切持っていない。そこにあるのはただ美しいメロディ、伸びやかだが閉塞的にも感じられる響き方、アンディ・パートリッジの研ぎ澄まされ過ぎて人間味をなくしたかにも思える歌声だ。恐らく、彼らの内向性は「いかにいい曲を作るか」ということをただ修験者の如くストイックに突き詰めていくから生まれていくのだ。初期から一貫される音色にこだわり、リズムと歌メロを絡め合わせ、そこに様々な音を挿入して限界まで退屈さを抜いて「ポップ」であることを研究する彼らの姿勢はここで究極に至ったように感じる。だが初期と中期を越えたことにはならない。それぞれ特有な魅力があるからだ。だから後期は人によっては出来が良すぎて退屈に感じることもありそうだが、個人的にはこの完璧さを追求しすぎたある種の「病性」はまた違った魅力があると判断する。追求した結果非常にメロディもよく、ノリノリでもありながら今一つつかみどころのない面妖な難解さを有するに至った。ポップスでありながら自慰的でもある、歪んだものを彼らは提示した。

僕はポップが好きだ。玄人ぶった奴は否定するが音楽においてポップさは武器である。爽快感があることは音楽の本質的な要素である快楽性と結びつくし、いいメロディとは基本的にポップでキャッチーなものだ。だから僕は、ポップを馬鹿にする奴にはビートルズxtcがいるのにと思って呆れている。彼らが優れたバンドでなければ、誰がいるっていうんだ?