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そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

いつダンスするー?

ベックはこう言っている。

「人生はダンスなんだよ。這うためにあるんじゃない。音楽はそれを高める作用があるんだ。ほら、音楽がないと踊れないだろ? 人間を踊れないと、這うしかない生き物なんだ。だから、今もピエロや道化師、ミュージシャンが存在するんだよ。ファサードなんだよ。どれも重苦しさを排除して、この瞬間を楽しむために存在するんだ。そう、音楽は今の瞬間に戻ってくれるのを助けてくれる。精神的なごたごたで自分を見失うのを防いでくれる。自分が誰でどこに行こうとしてるのかを実感させてくれるんだ」

 どういう意味だろう。この発言はダンスロック・アルバムである「mignite vultures」に収録されているため、そのためのリップサービスという可能性もあるが(それにベックは適当だし……)、考えてみよう。

 なぜ、ベックはピエロと道化師とミュージシャンを並置したのだろう? それは、全員肉体を見せるからではないかと思う。自分の肉体を晒すことの恐怖、そして全力でパフォームして期待する観客を楽しませるということ。ジョンケイルはサングラスを付けている理由は観客を見たくないからだといっていた。自らの肉体を晒してパフォームする。それは正しくダンサーも一緒である。音楽がないと踊れないのと平行して、アーティストもまた踊り続けている、自分の音楽に酔って。観客の前で見世物であり続けるのだ。そうなると、作家や画家は肉体を見せるわけではない。美術的なパフォーマンスや朗読は別にしても、肉体を見せる必要がない。

 最近亡くなった松智洋さんが僕に凄い迫力で言ってきたことがある。「小説は読者の前で裸踊りすることなんだよ!」作品と作者はリンクしない。当然である。エロ漫画を女性が描いてるからって、描いてる通りの願望があるわけあるまい。だが、どれほど冷静に論理を組み立てていても自分の思想が恐ろしいほど出ているときにふと気づくときがある。それは正に「裸に」なっているかのようであり、今すぐにでも削除したい代物だ。作者はそれを消さずに提出しなければならない。10万字だったら10万字分踊らなければならない。作家や画家もまた踊っている。

 表現者でなくとも、なにかを決断して行うことは踊ることである。それはなんだってそうだ。友達と仲直りするとか、何かをプレゼンするとか、そういうこと。なにかをやることは間違う恐れがあり、失う恐れがあり、そして間違いなく見世物になることである。だが、そうでなければ這うだけなのだ。リッキー・ヴィンセントが日常にもファンクがあるといったように(それは「midnite vultures」がファンク色の強いアルバムであることと繋がる)、やはり人生はダンスである。踊りを見て楽しむと同時に、自分も踊らなければ始まらない。他人の生み出すものが自分の今を切り取ってくれ、自分はその切り取ってくれた今を踊るのだ。今この瞬間こそが、ファンクネスなのであり、唯一のステージである。

 

以上。ベックは素晴らしいアーティストだよね! 天才だと素直に思えるひとだ。この人は発言にも切れ味があって色々凄いことを言っているのだが、そのへんは他の記事で紹介することになるだろう。インタビューを見ると彼は非常に客観的な人物なことが分かる。なんていうか、いい曲を作る理論って誰でももってると思うんだけど、大抵はアウトプットできなくて苦しむんだよね。ベックは客観性を持ってそのままアウトプットできる人、って印象がある。だから外れがない。ただ、ランダム性がないからちょっと堅すぎるかもね。それでも、まあいいのである。とりあえず、聴いて踊ろう!