理論的なことはいいこと? 悪いこと?(やはりかっこよくなくては)
表現でいつの時代が好きなのかはみんなあるだろう。ロックなら60、70年代でしょ、アニメなら80年代が、文学は近代、みたいな。例がすごいコテコテになったけど、まあよい。
表現の可能性は、案外早く掘りつくされるものだ。多分、上の例の時点でそのジャンルの表現の新しい要素はほぼ出尽くしている。出尽くした後は、今まで出た要素を組み合わせることに終始するほかない。僕は出尽くした直後の時代が一番すきなのだ。なぜかというと、その辺でジャンルの解体が始まり、そしてそれは後のものより大胆だから。90年代アニメの面白さは徹底的に過去の作品を解析して組み込んで混ぜ込むことにある。エヴァンゲリオンとはそういうものの極地であろう組み合わせることの異質さ、それによって見慣れていたものがまるで別物になる驚きが秘められている。オルタナティブロックはノイズをいれ、ときにはポップであり、しかし自閉的な響きを持ち、要素間は複雑に絡み合い、ジャンルはその多義性に目覚め、強烈な印象を与える。美術でいえばキュビズムなどもそうだ。
この直後であることのよさとは、テクニックと対象の豊かさが両立している点だ。テクニック、つまり要素を混ぜ込むことは恐らく後の方が上手い、ていうか後のものは物語的な快楽を保ちつつしっかり既存のものを掛け合わせて行くからやっぱすごい。た理論が完全に打ち勝ってしまい、表現としての豊かさは失われる。モンドリアンの二枚の絵を見てみよう。
どちらがいいだろう。僕には左の方がいいように思う。同じように理論だった作品であっても、左の方が情報に溢れ、色彩がうるさく、目を見張る。「ブロードウェイ・ブギウギ」というタイトルで、長方形と線で車と道路を表している。理論が存在し、同時に賑やかに書いていくことは価値がある。懐古ファン的だが、僕はシンゴジラよりエヴァンゲリオンの方がやっぱり好きなのだ。あのどうしようもない、しっちゃかめっちゃかで物語として成立したものでも、なぜかキャラクターはいきいきとしていて、惹きつける力がある。そう、僕が考えているものはそこなのだ。あの「つまらないのにはっとしてしまうもの」の原動力を探すことが、今の目標だ。わけのわからないものが、なぜか面白い。矛盾しているのに、それでいいと納得できうる。そのりゆうだ! 表現の理論とテクニック。それを超えるなにか。迫力とは理論を越えているのだろうか。どうか。
なんというか、しばらくは退屈せずにすみそうである。
おしまい。魅力、文字通り魅惑する力ってどっから来るんだろうね。僕の場合、かっこいいロボットが出てたらその時点で魅力的だからすごくシンプルなんだけど。ブラックサレナがあればいいのだ。なにが自分にとって良くて、豊かな作品とはなんなのか。みんなも考えてみよう!