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そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

自分だった少年に、したいことをしてあげよう

最近批評のアイデアが生まれたので、ブログのペースはかなり落ちるかしばらく書かない。大学のときブログに熱心になりすぎて卒業製作が進まないという、猛烈な本末転倒に陥ってしまった反省だ。本当になにしていたんだろうか……

 今日は朝マックを食べながら書いている。前も書いたが、マフィンが好きすぎるのだ。全部好きだ。味、食感、触感、語感、匂い、アクセント、姿形。なぜか僕には異様に好きなたべものがある。あとはたこ焼き、カップラーメン、マクドナルド全般、メロン味、あたりか。全部安っぽいな。それでいて、これらを頻繁に食べたりはしない。たまーに食べて、大した感動を味わうでもない、って感じだ。だから、どちらかといえば実現したい欲求というよりは憧れに近い。実際にあんま美味しくなくても憧れが消えたりしない。無感動に食べては少しすると恋い焦がれるのだ。意味不明に思えるかもしれないが、マクドナルドなら説明できる。

僕の家は健康志向というほどではないが間食やジャンクフードに厳しめな家庭だった。マックは1年に1回がいい方だったし、お菓子もあまり食べられない。話がそれるが、高校生くらいから僕は食べ物への感動がほぼなくなった。美味しいかどうかは分かるしそう思うが、情動には至らない。感情が動かされることはない。なんでそうなったかは不明である。それでも今すごい好きなたべものは、昔の自分から来る欲求な気がする。自分が食べているのではなく、小学生の自分に「食べさせている」。それはまるでスプーンで子供の口に運ぶように。僕はどこか小学生のときに引っ張られている。あの時期はやたらやる気があって、今よりずっと本を読んでいた。今は一時間もすると本を置くが、あのときは五時間くらい平気で読み通していた。それでいてあそびまくってたし、今思うと我ながらすごい奴だ。僕はずっと昔の自分といる。人から努力家みたいな言い方をされるが、向上心が高いわけでは一切ないし、努力したいとすら思えない。ただ、昔の自分が見ているのだ。あれだけ頑張っていた自分が、今の怠惰を許してはくれない。だから1日が終わってなにもしてないと信じがたく強い罪悪感が襲う。

 昔に戻りたいとは思わない。不可能だからだ。だけど、あのときのやる気は手に入れたい。あのエネルギーに満ちあふれた、全力で生きる姿勢。そこにずっと「憧れ」ている。僕自身が、僕にとっての原風景であり、追い求めるものだ。この事実は人からすると想像がつかないくらい強い。マックで何気なくハンバーガーをたべてて、なんで俺はこんなにマックが好きなんだと思っていたら、昔マックに死ぬほど行きたかったのを思い出したとき泣いてしまった(そんな号泣ではないよ)。今のために僕は生きているが、「自分だった少年」を、ずっと羨み、見張られ、ご褒美に食べたいものを食べさせてあげるのだ。今食べたチキンクリスプマフィンも、やっぱり「自分」はなにも思わず食べていた。

 

終わり。今までにないパターンじゃないか? ハンバーガー2個頼んで飲み物なしだからのどがすごい乾いた。