そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

常識的に考えて常識はおかしい

ずいぶんサボってしまった。猛省しよう。いや、色々心労がね……あと作品かいてたしね……

内定が決まった。決まったぞ! いや、たぶん一番意外に思っているのは僕だ。実際決まったときも喜びよりかは「決まんのかよ……」とギャグ漫画みたいな反応で終わってしまった。昨日で卒業式も終わり(出なかったけど)、あとは働くのみだ。
僕は働くことを選んだ訳だが、実際働かないことを選択肢に入れていたのも事実だ。いやいいから働けよと思うかも知れないが、「そりゃ働くでしょ」みたいな態度はいいのだろうか? 僕がここで言いたいのは働くことの必要性ではなく、人生の柔軟性だ。働くことが常識であること、言い換えれば人間は働くとしか「考えられない」のは、貧しい。なぜなら働いていない奴はこの世にいるのである。だったら案外働かなくてもいい可能性も大いにある。常にあらゆる事態は考慮にいれるべきなのだ。「そうしているからそうする」のは、たんなる服従に過ぎない。なんで、皆「そうしているか」は疑問に思わなければならない。この態度は、僕みたいに当たり前のことが出来ない奴の方が気づきやすい。当たり前のことを当たり前に出来る奴はそれでやっていけてしまうから、特に疑問を感じる瞬間がない(だから、批評家は生活能力や実務能力がない奴ばかりなのだ。使えねえ)。まあ、当たり前に出来る奴はそれはそれで幸せだからいいのだが。マナーは象徴的な常識だ。フォークやナイフをとる順番がなんであろうとどうだっていい。だが、そういう決まりだから間違えると顰蹙を買う(といってもマナーくらいは僕もある程度守る。さすがに不便が過ぎるし、そんなに労力を使わないし)。
常識はあなたを試す。適合と不適合にきれいに振り分ける。そこに立ち向かうかどうかは好きにすればいい。ただ、常識は常にあなたを食い物にしようとする。だから疑いをもって生きる必要があるのであり、批評家というある種の社会的クズは社会の構造を解き明かそうとする。

終わり。まだ引っ越し先が決まっていません。さすがにまずいよね。