そもそものそもそも

いつまで続けられるだろうねえ

うるさい、俺は感傷的なんだ!

中々自作のプロットが考え付かないので、ブログを書くとしよう。
2020年も4月だ。来月で僕も28歳である。28歳! 書いてみるとびっくりするものがある。人間として一番脂が乗っている時期にこの体たらく! 見過ごすことは出来ない! もう少し精進します(最近色々怠けていました)。びっくりはしたが、思ったより感慨はないものだ。去年27になったんだから、今年は28なんだろう…… くらいの気持ちである。とはいえ、年は取りたくないものだ。肉体も頭脳もこれからは下降線を辿る一方なので。
さて、ここのところは体調が悪くてぐったりしていた。こんな世の中では、こうもなろう。あまり鞭打っても仕方ないので、程よく自分を甘やかすことにしている。なんというか、そう思えるあたり僕も変わったものだ。かつてだったらもっと自分を責めていたような気もするのだが。多分、「時期を過ぎれば勝手にやりだす」と自分を信じているのだろう。確かに、奮起したところでどれほど効果があるか分かったものではないので、案外正しいのかもしれない。結局、どう思ったところで自分が変わったりしないものだ。行動に起こさぬ限り、変化が起きることなどありえない。そういう意味では、「いかに行動しやすくするか」には注意を払うようになった気がする。作業中はスマホをバックに入れたり、なるべく同じ時間に作業して習慣化したり、そういった形の工夫に力を入れるようになった(この辺りは社会心理学や行動心理学の本を読んだのも大きいな)。
ふと思えば、僕は前よりも思考や感情に興味をなくしているようにも感じてきている。さっき言った「自分を責めない」こととも繋がるの話だが、やはり自分を信頼するようになったからだろう。考えや思いは「ほっといても大丈夫」なのだと思い始めたのだ。アドラー心理学では無意識は信頼できる存在だと論じているようだが、それに近いのかもしれない。自分を自分の力でコントロールしようとする必要はなく、放置してもちゃんとやってくれるものだ。「人間こうあるべきだから、こうしよう」というスタンスはすっぱり抜け落ちてしまった。どちらかといえば自分のやりたいことに時間を注いだ量が、自己評価の全てになりつつある。手を動かせ、手を! という訳である。
めんどくさい理屈だが、僕が言っているのは「とにかく手を動かせ」ということではない。僕が思う「思考や感情をほおっておく」とは、「自分がそう考えるのならそう考えているのだし、そう感じるのならそう感じているのだろう」ということだ。これは現象学や哲学ではない。もっと感覚的な話であり、身体生理的で、主観的だ。悲しいのであれば悲しいのだろうし、嫌な気分なら不快感が確かにあるのだろうし、好きになれないのは自分の好みや価値観と反するのであろう。僕が言いたいのは、「こうあるべきではない」と断じて自分を封じるのは良くないということだ。そうやって最初に得た感覚的な体験を否定すると、逆に自分自身が把握できなくなりどこからが主観でどこからが客観かが分からなくなる。冷静な判断に必要なのは、論理的な思考と自らの個性の両方を把握しなければいけない。だから、普遍的な事実を追い求めるとして自己内省は重要なのだ。感覚を深掘りしていかなければ、自分がどこで論理を「自分好み」に捻じ曲げているか掴めなくなる。
そういう訳で、僕は一周回って感傷的になることも許容している。かつて言った「悲しいときは悲しめ」理論に近いが、もっと自分に甘い。あの時は「悲しみという感情」と向き合えという話だったが、今回はそれに加えて「過去への哀惜を持つ」ことも許している。いいんじゃなかろうか? 戻れない過去を懐かしんでも。それで時間を浪費しすぎたら問題だが、作業量を確保できているなら存分にやってくれ。僕が思った事なのだ、なにを恥じらうことがあろう? 僕は感傷的な男なのであり、いつだって嫌気がさしていて、寂しさと虚しさを抱えている。だが、それ以外も選べなかったのだ。そして、だからといって人生が満ち足りていない訳じゃないし、まあまあ愉快でもある。もちろん現状になにもかも満足していることはありえないが、かといってそんな自分を否定する意味もないだろう。個人的には、その方が責任があっていいと思う。しょうもない自分を「背負って立つ」方が、拒むよりかは潔い。
そんなこんなで、とりあえずはなにもかもを許容するようになった。ま、諦めの気持ちもある。どうせ自分からは逃げられないのだ。だったら、諸手を上げて迎え入れた方が得策でしょう。結局は惨めな気分で生きざるを得ないのだ。最早今更、ということである。だから、今でも思う。「もっといい方法はなかったのか、うまいやり方はなかったのか」と。ないのだ。僕は最善を尽くした。考えて、考え抜いて、徹底的に突き詰めて、悲惨な結果になった。そうである以上、これからを良くするしかない。ひたすらに生き抜いて、今までよりも上出来な最善を積み重ねていくことしか出来ない。当然、これからも後悔していくだろうし、失ったものが輝いて見えるだろう。悲痛な気持ちがこの身を吹き抜けるときもあるだろう。だが、そういった思考を肯定できるようになったことと比べれば、随分と可愛いらしいものじゃないか。

 

終わりー。終わり! 早く寝て免疫力を付けるのよ!